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2018年3月16日 (金)

火山は爆発するし地震は起る

明日図書館に返さなければいけない本に、
かなり共感する部分があったので、
取り急ぎ書き写しておく。

著者渡辺京二は1930年生まれの日本近代史家・評論家。
江戸時代を明治維新により滅亡した一個のユニークな文明として甦らせた
『逝きし世の面影』は、和辻哲郎文化賞。
少年期、大連から日本へ無一物で引揚げた経験を持つ。
10代で日本共産党に入党するが、20代なかば共産主義運動に絶望、離党。



Photo



未踏の野を過ぎて 渡辺京二 弦書房 2011年


■東日本大震災にふれた「無常こそわが友」より

「私は大震災に対するメディアおよび人びとの反応ぶりが大変意外だった。なぜこんなに大騒ぎするのか理解しかねた。これが大変な災害であり、社会の全力を挙げて対応すべき事態であるのは当然としても、幕末以来の国難であるとか、日本は立ち直れるのだろうかとか、それに類する意見がいっせいに溢れ出したのには、奇異の念を通り越してあきれた。三陸というのは明治年間にも大津波が来て、今回と同様何万という人が死んだところである。関東大震災では十万以上の死者が出た。首都中枢が壊滅したのである。それでも日本が滅びるなどと言い出すものはいなかった。」

「東北三県の人びとはよく苦難に耐えて、パニックを起こしていない。パニックを起こしているのはメディアである。災害を受けなかった人びとである。」

「この地球上に人間が生きてきた、そしていまも生きているということはどういうことなのか、この際思い出しておこう。火山は爆発するし、地震は起るし、台風は襲来するし、疫病ははやる。そもそも人間は地獄の釜の蓋の上で、ずっと踊ってきたのだ。人類史は即災害史であって、無常は自分の隣人だと、ついこのあいだまで人びとは承知していた。だからこそ、生は生きるに値し、輝かしかった。人類史上、どれだけの人数が非業の死を遂げねばならなかったことか。今回の災害ごときで動顛して、ご先祖に顔向けできると思うか。人類の記憶を失って、人工的世界の現在にのみ安住してきたからこそ、この世の終わりのように騒ぎ立てねばならぬのだ。」


「現代人気質について」より
「今の人間はもっと面白い、もっと素晴しい、もっと胸のわくわくする一生を過ごせたのじゃないかという後悔に身を噛まれております。だから一生子どもなのです」



他「大国でなければいけませんか」「社会という幻想」
「老いとは自分になれることだ」「つつましさの喪失」
「前近代は不幸だったか」等、30編収録。

この本を知ったのは、
勢古浩爾「結論で読む幸福論(草思社文庫)」。
(「生きるに値するもしないもない」の章(228ページ))





コメント

人生、棒に振った…と、暗澹たる気持ちになったことも
ありますが…。

>今の人間はもっと面白い、もっと素晴しい、
もっと胸のわくわくする一生を過ごせたのじゃないかという後悔に身を噛まれて

まさに、これです。


えのころさん
コメントありがとうございます。
人生の意味は「結果」でなく「過程」にこそあると思いますから、
どんな人生も投げ出さず最後までまっとうするならば、
その結果がどうであれ「棒に振った」人生なんてないんだと、
よかれあしかれその人がその人の人生を生きる、
それがこの世に生まれ死んで行くことの意味で、
生きることにそれ以上の、またそのほかの意味はないんだと、
結果なんかは単にその時の巡り合わせなんだと、
うまく言えませんがそのように愚考している今日この頃のわたしの日々です。
とまあ、まこと舌足らずの感想で申し訳ないです!

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